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夜ごと繰り広げられる物語。美味い飯と旨い酒には物語が存在する。

第三夜 SexyGAME
〜I LOST,WE ALL LOST
 セクシーなものって、何で六〇年代で終わってしまったのだろう?

 赤と白に行儀よく塗りわけられた縁石が襲い掛かるように私の眼に飛び込んでくる。
4速から2速へスムースに落としイン側のタイヤだけ縁石に乗せながらそのタイトコーナーを抜ける、出口が見えゆっくりとアクセルを開ける。ここで焦ってアクセルを急に踏み込んでしまうと、ミッドシップレイアウトのこの車は簡単にスピンしてしまい、その日のレースは台無しだ。

 TOYOTA MR2-私がまだ免許も持っていない頃、その独特のコンセプトの元、発表された。私は子供ながらに「大人になったら絶対この車に乗るんだ」と強く思った。実際にこの車を手に入れ、週末レース等に参加しているのだから、我ながら口元が弛んでしまう。2シーター故ハンドバック一つ乗せる事はできない。シート後方に積んだエンジンのせいでカーステレオの類いは一切役に立たない。まるで苦しむ為の車みたいね、と言ったのはいつの女だったか。私はそれでもこの車でタイトコーナーを抜けるのが好きだ。官能を手に入れる為にはそれ以外の事を犠牲にしてもいい。 ピットに戻り、愛車に労いの言葉をかけていると夕暮れのコースに一人レンズを向けるカメラマンが眼に入った。コースにはもう誰も出ていないはずだ。近付くと声をかける前に向うから話しかけて来た。
「ねぇ誰もいなくなった夕方のレース場って残酷よね」言いながら振り向くその容姿には誰もが息を飲むだろう。「最近じゃアマチュアレースにもイベントギャルが付くのかい?」さり気なく褒めながら様子を伺う。フフフと笑みをこぼしながら休憩所へ首を傾けた。冷たいスポーツ飲料を手渡してくれながら「私、そんなにおつむ軽そうに見えたかしら?」ムムどうやら安直な褒め殺し作戦は必ずしも成功していた訳ではない様。
「何の写真を撮ってるんだい」私は話題を変えようと彼女が首から下げる一眼レフに眼をやった。「今度のCarGraphic用の写真よ」 「今日のレース?」
「残念。このレース場来月で10周年なの、写真はレース場だけよ」自分が少しでも雑誌に載るかも知れないと期待したのが恥ずかしい。
「それはそうとプロのカメラマンに向かって、イベントギャルは失礼だったね謝るよ、お詫びに今度食事を御馳走させてくれないか」
彼女は満面の笑みで「いいのよ。ありがとう気持ちだけいただいとくわ」食事の変わりに素敵な笑顔で勘弁してね。とでも言いたそうだ。せめて名前だけでもと食い下がる私に彼女は名刺を差し出した「紀子よ、どこかのコースでまた会えるかもね」と言い残して夕暮れのコースへ一人向かった。

 家に戻り腑甲斐無いレース結果を反省しながら彼女の笑顔が頭をよぎり名刺にあるホームページアドレスを叩いてみた。フリーカメラマンである彼女の写真はそのどれもがセピア色でどこか物悲しい印象を受ける。その中にフランスの奇才セルジュ・ゲンスブールを撮ったものがあった。浮浪者のような汚らしい無精髭、自分の才能を恨んでいるかのような悲しい視線。
「・・・セクシーだな」つい口を付いてでた。名刺にメールアドレスを見つけ私はラブレターを書いて見る事にした。
一週間程過ぎた頃だろうか突然携帯電話がなった。
「お食事の招待、お受けするわ」と、挨拶もぬきで、いきなりそう言ったのには私も驚いた。
「いいんですか?僕が前代未聞の色情狂だったらどうするの?」
「そういうのって好き。で、どこへ何を食べに連れて行って下さるの?」
「僕の自宅でイタリアンというのは?」
「コックがいるの?すごいのね」
「いや僕が作る」
「ハハン」
「ハハンって?」
「その手のタイプね」
「その手って?」
「手料理で安く上げて女を口説こうなんて、やることが小っちゃい小っちゃい」
「口説くかどうかはあなた次第。まだ自惚れるのは早い」
「とにかくOKよ。たとえあなたが前代未聞の色魔だろうと、あたしは、たったひとつだけあなたが言った言葉がうれしかったのよ」
「僕、なんか言ったっけ?」
「あたしの作品を、セクシーだって」
「ああ、それは事実」
「じゃ、あなたのお宅で。今夜なんてどう?」紀子女史、以外に気が短いお方とみえる。
「今夜はむり」
「あ、おデイトね。じゃ明日は?」
「明日もむりだな」
「いつまで待てばいいの?」
「二週間先なら-」 「つまり、二週間先までおデイトの約束がつまってるってわけね。ま、いいでしょう」
と彼女は勝手に納得し、私の方も別に否定する気もなく、ディナーの約束がひとつ生まれた。
二週間後を指定したのには、理由がある。私は紀子女史のために、本格的なイタリア式の生ハムを作りたかったのである。彼女の写真が醸し出すセクシーさに負けないセクシーな食べ物といったら、あのピンク色のねっとりと舌にからみつく生ハムしかない。
さっそくその日の帰り、私は築地の行きつけの肉屋で、最上級の豚ロース肉を一キロ買って帰り、仕込みにとりかかった。
作り方は実に簡単だが出来上がりは天国の味。これぞ男の手料理でなくて何であろう。世の中でもっとも美味なるものに共通するのは、塩と時間が熟成をうながすものである。つけもの、チーズ、干物、くんせいなど、生ハムもまたそのひとつなのである。
さて作り方。一キロの豚肉は、塊のまま、50グラムの岩塩と10グラムの黒胡椒の荒挽きを、まんべんなくすりこんでやる。これを十二時間、冷蔵庫で寝かせ、味をなじませる。(これは基本のレシピだが、好みに応じローリエ、ジュニバー・ベリーなどの香辛料を加えても良い)
十二時間後に冷蔵庫から取り出した肉を、「ピチット・シート」で包んで、再び冷蔵庫へ。あとは十日から二週間、じっくりと眠らせて熟成を待つ。ピチット・シートは、三日に一回の割りで取り替えた方が、より効果的。水分が出るので、バットを敷くことを忘れないように。
二週間後に、水分が抜け、ねっとりとしたあの生ハムが出来上がる。

ピンポーン。約束の時間に二十分遅れて、紀子が私の家のチャイムを押した。ムム、合格。時間ピッタシというのはセクシーではあらず。美紀など約束の三十分前に来て待っているという悪趣味の持ち主で、紀子の爪の垢でも煎じて飲ませたい。
「お久しぶり、セクシーなお家じゃない?どなたかとシェアしてるの?」とさりげなく探る頭の良さ。
「悪友の男がもう一人」
「男の二人住い、これまたセクシー。けっこうね」
「君の服装もセクシーだよ」と私は彼女のジョルジオ・アルマーニを誉めた。
「中身の方は?」
「食べてみなくちゃ分からない」
「田中眞紀子とあたしの違いを言って」と不意を突く。
「セクシーになろうとすればなれないわけでもないのに、その努力をしない女はアウト」
食卓についても、二人のセクシー談義は終わりそうにもない。
「うわーぉ。これって、ミラノで食べたのと同じ味よ」彼女は自家製の生ハムに感嘆の声を上げる。
「まさか、イタリアからこっそり持ち込んだんじゃないでしょうね。こういうの、日本では売っちゃいけないのよ」豚肉の生ハムの販売は衛生法に触れるのだ。
「僕も買ったわけじゃないよ」
「あなたが作ったの?すごいじゃないよ」
「今や、フレンチは非セクシーで、イタリアンがセクシーだからね」
「テレビはアウト。現代車も全てセクシーじゃないわ」
「唯一ポルシェ911のななめ後ろから見たフェンダーへの流れるような、筋肉の密度を暗示するラインは、例外的にセクシーだよ」
「女もその角度がいいのよ」
「僕のMR2もなかなかセクシーでしょ?」さり気ないアピールも忘れない。
「そうね国産にしては、良く出来てるかしら」紀子女史も譲らない。
「六〇年代のものって、全てがセクシーだったよね。音楽にしろ芸術にしろ」
「ベトナム戦争のあたりから、屈折していったわね」
タマネギとワインのスープにとりかかる紀子。食欲もお喋りもエネルギッシュだ。これはオニオン・スープをずっと洗練させた味と思って頂きたい。白ワインの風味がエレガントだ。
「あなたが認めてくれたゲンスブールのことだけど、彼って最高だった。撮影中も一時もベルモットのグラスを手放さないの。いつも同時に二つ注文してたわ。なくなるのが不安だったのね。その彼がふっと言ったのよね。あの声で、”I LOST”って」
I LOST-と私は口の中で呟いてみる。見失っちまったよ、というような意味だろう。人生にはぐれちまった、というような。
「どうしようかと思ったわ、その時。だってあの風情で、あの声で”I LOST”なんて呟くんだもの。何かしてあげたい、駆け寄って抱き締めてあげたいって思うじゃない。でも、その時の様子があまりにも淋しそうだったんで、しめだされたような気がしたの。彼は孤独のなかで充実していたわ。孤独が似合っていた。だから、あたし、シャッターを押し続けるしかなかったの」
「いい話しだね」と私はしんみりする。ほとんど初対面で、こんなに気持ちよく会話ができ、食事が進む相手に巡りあえたことが奇跡のようだ。
「あなた、あの写真の事セクシーだって言ったけど、セクシーさって何だと思う?」
「もろさ、かな。一口で言うのは危険だけど、アラン・ドロンはだからセクシーじゃないよね」
「あたしは、気持いいって事だと思う。あたしを気持のいい状態にしてくれるものは、全てセクシーなのよ。よく居るじゃない、自慢の車を洗車したあとに雨に降られると舌打ちするようないやな男が。車は雨の日にこそみがくんだわ。ぴかぴかにみがいたボディに雨の滴が玉になって走るのって、すごくセクシーだと思わない?雨の日に車をみがくのをいやがる男なんてアウト。今夜の食事とあなたは合格」
「もっと気持よくなれることがあるんだけどな」つい、紀子のぺースに乗ってしまって、私は言った。
「それってアレのこと?」紀子が訊いた。「そのものズバリは、決してセクシーじゃないわよ」
なんだか方向が、おかしくなって来た。
「セクシーって、気持のいいことだけど、その気持のよさに溺れたら、そこでアウトよ」
「試練なんだ、セクシーって」
私はなんとか方向を修正しようと努力する。
「ねぇちょっとお願いがあるんだけど」
アルマーニのジャケットを脱ぎながら、紀子が甘い声を出した。
「いいよ、何でも聞いちゃう」
私も負けずに甘い声で答える。美食に美酒に美女に美男。あとはなるようになるしかない。
「この食事の食べ散らかした感じ、撮ってもいいかしら?」
「えっ?今?」
「飽食の後に漂う一抹の寂しさがあって、セクシーな情景だわ」
「もちろんいいよ」
と私は同意した。カメラを取り出して来てファインダーを覗きながら、紀子が言う。
「あなた何してるのよ、そこで」
「ポーズとってるのさ。なんならヌードになろうか?もしそれが必然的だときみが言えばだけどさ」
「そんなこと、あたし、言わない。どいてよ、邪魔なの」
さんざん食卓を撮り、カメラをキッチンに持ち込むと、そっちの方から盛んにパシャパシャというシャッターの音。
「そんなところで夢中になって、何を撮ってるのさ?」危機感を覚えながら、私が声をかけた。
「ある種の肉塊よ。つつましくも危うげな魅力に溢れた生ハム」
「よかったら、こっちにもそういうのがひとつあるんだけどね」
私は胸のボタンを二つ外して、長椅子の上で脚を組んだ。
しかし、待てど暮らせど、彼女は私のキッチンから出て来ない。よっぽど被写体としての生ハムがお気に召したとみえる。変な女だ。
「ねぇ、セクシーなものって、何で六〇年代で終わってしまったのかしら?」
とシャッターのあいまに声だけがする。
「それはね、紀子クン、六〇年代は個人プレーの時代だったんだよ。今は経済効率と機能が優先してしまって、複数の人間のプロジェクトになってしまっている。ジャガーのEタイプ・ロードスターのような車は、だから、二度と生まれないんだ。音楽もしかり、映画も、ファッションも、人間までもがそうだ」
「ゲンスブールだけじゃないんだわ。WE ALL LOSTなのね、きっと」
紀子がキッチンから出て来て首を振る。
「ほんとうはそう。でもさ、誰も気がついてないんだ。何かを見失っちまったことに」
「で、彼だけが淋しいのね」
「彼の唄、聴くかい?」
ふと優しい気持になって、私が立って行く。ネットで落として、ゲンスブールの魂を突き刺すような声が流れ出す。
「そこでストップ・モーション」
と紀子の声がかかる。「動かないで」パシャパシャとたて続けに起こるシャッター音。
「な、なにしてるんだい」
「そのポーズ頂き。じっとしててよ。ななめ後ろからのあなたのお尻の感じ、実にセクシーよ」
その時、紀子の傍らで電話が鳴った。
「動かないで。そのままのポーズを崩しちゃだめよ」
「しかし電話が僕を呼んでいる」
「あたしが出ると、すごく困ることになる?」
その間もシャッターを押し続ける紀子。
「全然。よかったら出てくれていいよ」
言い終わらないうちに紀子が受話器を取り上げる。
「もしもし?え?ええいますけど、あなたどなた?」
彼女は少し耳を傾ける。そして「あなたによ、同棲相手から。あたしの事ライバルかな?だって」
「腹減った食う物あるか?今から帰るから」
「それは、困る迷-」惑と言う前に、電話が切れた。
「悪いけど」と紀子に向き直る。「龍がさ、今から飯食いに帰ってくるんだ」
「どうぞ、どうぞ、おかまいなく。よかったら美しき男同士の友情を撮りましょうか?」だとさ。まいったね。

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