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夜ごと繰り広げられる物語。美味い飯と旨い酒には物語が存在する。

第五夜
その1
小さなダイヤのイヤリング1
〜楽しむだけではない食事もある-

 新都庁の方角からうつむき加減でやって来た女と、これまた考え事に熱中していた私は、すんでのところで正面衝突をするところであった。
一瞬の反射神経でそれを回避したのは、アウトドアスポーツで普段鍛えている私だったと言いたいところだが、女の方だった。
ヒラリとよけたので、私の躯に触れたのは、彼女のスカーフの一部だった。あまりにも鮮やかで私は自分が闘牛士を突きそこなったトンマな牛のような気がした。
「あら」
とその女がいった。「久しぶり、こんな偶然ってあるのね!」
その声に含まれる無防備なばかりの親愛の情が、私を驚かせると同時に感激もさせた。
が、相手が誰で、どの時代に属したのか、まるで思い出せない。
もちろん、そんなことはおくびにも出さず、両手を大きく広げ、満面の笑みと共に、私は言った。
「こいつは驚いた。こんなところでバッタリ逢うなんて、何かの縁だよね。うれしなぁ」と調子もよく握手をし、「最後に逢ったのは、いつだった?」と実に巧妙にさぐりを入れる。
「驚くなかれ一昔も前よ」とすると、まだ十代の頃だ。カリカリに改造した50ccのクラッシクバイクの時代か。私は後ろに乗せてしがみつかせた女の子たちの顔をアレコレと素早く思い浮かべた。ヨシコではないし、マリコでもない。ユウコ、アイコ、クリ、アユミでもないし。
cb50 「俺のCB50覚えてる?」ナミコでもないし、アヤでもない。
「アルミタンクにしたやつよね」
「そうRC110レプリカいまでもガレージで健在だよ」
その時、生暖かい突風が吹いて、女の髪を吹き上げた。耳に光るイヤリング。前方を行く、カワサキのバックシート。いつもダイヤのイヤリングをしていた女の子。記憶がよみがえった。
「それにしても”京子”」と私は咄嗟に浮かんだ名を親し気に口にした。十年ぶりに口にする名前の甘美さ。「あの頃は突っ張りの小悪魔だったけど、今は何て言うか、年相応のいい女になったね」
バックシートで私の腰にしがみついてた女の子たちの顔を、いくら思い浮かべてもわからなかったはずだ。京子を私がCBのバックシートに乗せたことはなかった。私がどんなに切望しても、彼女はただの一度も私の願いをかなえてはくれなかった。彼女は私のCBを50ccは一人乗りだと馬鹿にして、怪物みたいにでかいバーチカルツインのカワサキw1を乗り回していた、これまたでかいバイク野郎の背中にいつも張り付いていたのだった。
それにしても女は変身するものだ、と私は思った。イヤリングを連想しなければ、京子だと思い出せはしなかったろう。娘の頃の頬のふっくらとした感じが消え、贅肉のない顔。ジャンフランコフェレのものと思われる白いスーツの着こなしもきまっている。あの汗臭い十代の少女の面影は、わずかに光る瞳に残っているだけだ。
「どうしてるの、今?」
と彼女が訊いた。
「あの頃、死んでもなりたくなかったことしてるよ。サラリーマン」
「わたしもそうよ。-ただの人妻」
二人の視線がそこで絡む。
「あなたは?」
「結婚?するわけないよ。京子にとことん振られたんだもの」
「調子いいとこ言って。ヒトミはどうしたの?婚約してたんじゃないの?」
「それもパー。クリスマスにさ、金なくて、彼女に何もプレゼント買えなかったんだ。彼女の方は俺に、当時の給料のほとんど全部注ぎ込んでバカラのグラスをセットで贈ってくれたんだけどね」
いつのまにか私は当時の言葉遣いで喋っている。
「で、俺さ、さすがに反省して。クリスマスの朝、目覚めてふと外を見ると一面の雪だった。外へ出て、庭一杯に I LOVE YOU と雪の上に描き、ヒトミを起こした。
”ヒトミ、俺からの心からのプレゼントだよ、ちょっと見てくれよ”
ヒトミは眠い眼をこすりながら、窓の外を見た。
”プレゼントって、どこにあるのよ?”おそろしく現実的な声で彼女が訊いた。
”あれさ”と俺が指差した。庭一面の<I LOVE YOU>。
ところが彼女の顔色が変わったんだ。
”何よ、あんなもの”
それからすごい剣幕で、俺にくれたバカラのグラスを片っ端から壁に叩き付け、ひとつ残らず割ってしまったね。
”あたしは、バラの一本でも良かったのよ。あたしのために、あなたに何か贈り物を買ってもらいたかったのよ”
”俺、ヒトミのためにホワイトクリスマスを贈ったんだけどな”
”調子いいこと言わないでよ。もし偶然に雪が降らなかったら、どうするつもりだったの。窓ガラスに<i LOVE YOU>って描くの!ケチ!”
それで終わり。
グラスのすさまじい破片だけを残して、彼女は出て行った。永遠に」
バイク時代の女に逢ったせいか、どうも口のネジが緩んだようだ。私はつい吐露してしまった思い出話に、照れた。
「今のあたしなら、どんなものよりも雪に描かれた"I LOVE YOU"をとるけどね。多分、ヒトミも同じ事を言うと思うわ」京子がしんみりと言った。

二人は懐かしさのあまり、すぐには立ち去りかねて、近くのホテルで食事をしながら話し続けた。
「そうよ、宝石や毛皮なんて、どうってことないのよ。そんなものいくら積まれても、うれしくもなんともないわ」京子が遠い眼をする。「青春が懐かしいわね。もう取り返しのつなかい青春-」
京子が1センチだけキールロワイヤルを飲んで呟いた。
五年前ならもっと鮮やかに思い出せただろう。すぐにはわからなかった。と私は正直に答えた。
別に昔の頃そのままの顔と雰囲気を期待していたわけではないのだが、京子と久しぶりに逢って、老いは皮膚のたるみや皺だけではないことに気付いた。
何か眼に見えないものが全身を、特に、目のような普通の肌に守られていない部分を被ってしまう。まぶたが重く垂れるという意味ではない。目に輝きが失われるということでもない。眼が、否応なしに年月の膜で保護されてしまうのだ。
「しかし俺だってよく分かったね」と私は聞いた。
「だって昔と何にも変わってないもの!一目で分かるわよ」
何か妙な感じだった。京子が短いセンテンスで何か話すたびに、私のからだのどこがで動くものがあった。頭の中だけではなく、ひざの裏や首筋、指先などで、神経が妙にざわついた。
そのざわつきがおさまらないうちに、料理-生ハムとメロンが運ばれてきた。小さくカットされた皮付きのメロンの果肉にピンクの生ハムが、馬の鞍のように張り付いて、その上に1.5粒の黒ゴショウがのっていた。
フォークで刺し、口に運ぶと、メロンの甘味と生ハムの塩味に加えて黒ゴショウの辛さが弾け、口の中に風が起こったような感じがした。スコールがやってくる直前に熱帯のジャングルに渡る鳥肌が立つような冷たい風、それに似たものを口の中に感じたのだ。
黒ゴショウがきいてる、と京子が言ってそっちを見た時、同じような風が彼女にも吹いているのがわかった。そしてその風はざわついている神経をさらに振動させ、まったく突然に、すべての感覚がバイク時代のある日に戻っていくのがわかった。この妙なざわつきは彼女のせいなのか、それとも芸術的な料理のせいなのかまだわからない。
次の皿は仔ウサギのリエット-仔ウサギの肉にバターで焼き色をつけ、ニンジン、玉ネギ、セロリを加え、白ワインを何回かに分けて注ぎ、香草を入れ、蓋をしオーブンでゆっくりと煮上げる。その後、ミキサーにかけて、さらに、漉して作る。トーストしたパンに、まずトマトとニンニクのみじん切りと香草を煮詰めたものをのせ、その上にリエットをのせる。取り合わせが絶妙な一品である。
口に入れたとたんに、あ、例の感触だ、とわかった。口腔内の粘膜、舌、歯、喉と感触は移動するが原理は同じだ。ある何かが際立って浮かび上がり次に瞬間に滅びる。それが失われる直前に何かが代わりに現れるが喉に感触が移った時にはすべてが消え去っている。リエットは保存食の一種だから例えばスープなどよりも消えゆく過程がやや長い。いつまでもこの味に浸っていたいと思うのだが、瞬間だからこそ価値があるというあきらめと共に、何か貴重なものを破壊して自分のからだにとり込んでいるという罪悪感さえ覚えてしまう。
官能とは決して長続きしないものだ、と納得してしまう。永遠に踊り続けるバレリーナはいないし、モーツァルトの楽曲もいつかは終わってしまう、そんなことを考えてしまう。
そしてそれ以外のこと、官能と無関係なことはいつの間にか五感から追い出されてしまっている。仔ウサギのリエットと京子の微妙に恥を帯びた笑顔、それ以外にこの瞬間必要なものは何もないと思ってしまう。
料理を食べながら何時間でも話していられそうだった。お互い別れるのが惜しくごく自然に次の食事の約束をした。十年ぶりに逢ったマドンナが懐かしいのも確かだが、この妙なざわつきの謎を解きたかったのが本音かもしれない。

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