unkamp_title
unkampcafe

夜ごと繰り広げられる物語。美味い飯と旨い酒には物語が存在する。

第六夜 accident

 梅雨が始まる前のもう夏を感じさせる陽射しが、強くはあってもさわやかに照りつける多分一年で一番いい日和の土曜日だった。
 前の晩六本木で龍と落ち合い、友人が気をもたせて連れてきたどこかのOLたちをからかったが、あんまりぞっとせずに龍といいあわせて店から逃げた。
実際のところ私たちはいったいどれくらいの間、男と女のくせに、しょせんセックスの前戯のはずなのに、手も握らず体もくっつけずにがさつに跳ね回る踊りに飽きずにきたもんだ。

 帰り道に龍がひさしぶりに釣りをしたいなんていうもんだから、それじゃ明日は天気もよさそうだし山梨に預けてあるボートにでも乗るかということで朝起きしてやってきた。
本当にうっとりするようないい天気だった。真夏と違って吹いてくる南からの風も肌にさらっとしていて、強い陽射しに晒した肌が焼かれながらも風に冷やされて、もう他には何もいらないよという気分だった。これは自然の中に育ったことのある人間特有の季節感で、いわば時めく夏の予感というものだろう。
天気のせいもあって二人とも釣り糸を垂れたまま、湖を行き交うウィンドサーファーやジェットスキーを眺めていた。みんなやってきた季節に胸ときめかせながら、今日という日に満足し切っているという景色だ。どうもこの対比は、彼等の方がこの世の生き生きした現実で、我々二人だけがなんとなくすべてから取り残されているという、いかにも非現実感覚だった。

 四時を回ってしぶきに濡れた体が少し寒くなってきたのでマリーナをめざした。
マリーナの入り口にかかった辺りで、同じ港に戻るらしいウェイクボード用の船がうろうろ走ってきて、向こうは左舷こちらは追っ手ぎみだが右舷の権利艇なのに道をゆずる気配がない。
 龍と二人して、「スターボード、スターボード!」とさんざん叫んでやったのにこちらは風上だから声もとどいていうはずだがいっこうに航路を変える気配もない。
 まさか船の基本ルールも知らずに乗っている訳もあるまいと思っていたが、なんとか波にのって滑走して前をかわせるかと思っていたら、その寸前に相手の馬鹿がシートをつめたので相手の船は急に切りあがってきて、ドシーンとこちらの土手っ腹に衝突しやがった。
 むこうはこちらよりひと回り図体のでかいボートで、衝突のショックでこちらのハルに穴があき亀裂が入った。
「この馬鹿あっ、さんざんスターボードといったろうが」
 互いに舷を接して止まってしまった相手の船に思わず怒鳴りつけたが、見たら若い女たちだけがただたまげたみたいな顔をして見ている。
「お前らあっ」
 と怒鳴りかけたが、
「君ら、なんで避けないんだよっ、そっちはポートタックだろうが。え、前見ていなかったのか、こっちは何度も叫んでたんだぞ」
 それでもポカンとした顔で互いに顔を見合わせているだけ。
「あんたら、ひょっとしたらボートのルール知らないんじゃないの」
 龍がいったら、
「すみません」
 後ろで舵を持っていた女が細い声でうなずいてみせた。
聞くと船は会社の持ち物で馴れた上司がいたが途中で他の船に移ったという、素人だけでマリーナに帰すとは、いい加減にもほどがある。

 その後シャワーを浴びてマリーナのバーで一杯やりながら”いい加減な上司”を待っていたら、一際でかい船から何人もの女を連れて出てくる男が見えた。さっきの餓鬼達が駆け寄って事故の報告をしにいった。
男は濡れたまま向かってきて、とても恐縮しながら謝った。
なんでも航空会社の部員の募集のためのミーティングでなにかと手も回らず、いかにも申し訳ない事をした。事故を起こした船については必ず全損の弁償はする。 なるほど、航空会社のボートクラブ。さっきの餓鬼どもはともかく男と一緒に降りてきたのは東京で見ても目を止めるような容姿の者達だった、空から無事降りたら水の上でこのありさま、同情するね。

その夜、航空会社の小広い芝生の庭のある寮でパーティーがあるというので、お詫びにと招待された。
どんなツテで集まったのか女だけはうんざりするほどの数がいた。男は僕らをいれて十人足らずなのに女ばかり三十人をこしていて、飛行機に乗って飛んでる連中ばかりじゃないが酒やバーベキュウのサービスもみんな彼女らがやってくれ椅子まで運んですすめてくれて、とくに我々は被害者ということでファーストクラスの客なみのあつかいだった。
「しかしなんだな、これだけぞろぞろいてもよく見ると、んんってのはあんまりいねぇもんだな」
 折を盗んで顔を寄せ龍にいってやった。
「でも昨夜の顔ぶれよりはましだぜ。さっき俺達にぶつけた中の舵をもってたのなんぞ、お前のタイプじゃないの」
「それ、どういうつもりだよ」
「いやここまできたらものはついでということもあらあな」
「お前マメだねえ」
「じゃあ聞くけど、お前も含めてこの中に、私は絶対に結婚はしないと決めている奴がいると思うか」
「考えたことないね」
「ということはみんな誰もソコハカとなく期待はしているんだよ。そこで初めて人間の縁なるものが介在してくる。一生孤りでいいと思ってる人間がこんなとこに集まってくるか」
「だからなんなんだ」
「だから好きなようにしてろってことさ」
「ああ、してるよ」
「ならいいが。なにかさっき船ぶつけてきたあの子ちょっと呼んできてやろうか?」
「殴るよお前」

日が暮れきってそれぞれにアルコールがいきわたると、集まってる連中の声も高くなっていって、ふと耳をすますとセミシグレみたいに女の声ばかりが聞こえていた。二度ほどグラスをとり替えて運んでくれていた龍もどこかへいっていまい、自分で替わりをとりにいって酒瓶のならんだテーブルを目で探す私に、 「ワインもありますわよ。白も赤も」
斜め横から女の一人がいった。
「後から届いたんです。カルフォルニア物ですが」
「なら赤をもらおうかな」
振り返っていった私に、声を掛けて教えてくれた相手が、
「コブレットはないんですの」
いって普通のグラスにたっぷり注いで手渡してくれてた。
背の高い良く陽に焼けた気の強そうな顔をした女だった。
 元いた椅子に戻る気もせずそのままバーテーブルのある二段ほど高いテラスに立って庭をみわたしなおしてみる私に、
「パイロットしてらっしゃるんですか」
ワインをくれた女が聞いた。
「いや、違います。私は航空会社の人間じゃないの。じつは彼らがコーチだかしている航空会社の子についさっき船をぶつけられて」
「あらぁ」
「ひどい目にあったよ。ボート・スターボードもまだ良く分からない子に船をまかせて、あなたも航空会社?」
「いえ私は航空会社とシスタークラブの外資系勤めています。会社の寮もこの近くにあるんです」
「ああ、その日焼けはヨット?」
「船にも乗りますが、というよりスキーです。先週も立山でサマースキーしてきました」
「でも君ならあんなぶつけ方はしないだろうな。といかく右も左もわきまえずそのままつっこんできて、しかも寸前に切り上がってきて、船体に穴をあけやがった、それで怒鳴ったらチョームカだわって」
いったら相手はものすごくおかしそうにのけぞって笑い出した。
「笑い事じゃないよ、大損害だ」
「もちろん弁償はしますわよ、航空会社の補償は世界一ですってよ」
「でも気持ちはおさまらないよな、なにがチョームカだ」
「同情する」
いって相手はまた声をたてて笑い出した。首を傾けながら少しのけぞるようにして笑うそのしぐさが妙にコケティッシュで、この女いくつだろう、外資系にいてついた癖かなとふと思った。
 その内にだれかがCDをかけ始め、女ばかりが芝の上で裸足になって踊り出し、やがて男達が引き出され、さらにその内誰かが私の手を引いて誘うので仕方なく庭には降りたがなにしろ踊る相手が三人四人という始末でなんの感興も湧かずに一曲で止めちまった。
飲みかけのグラスを取りにテラスにもどった私にさっきの子が、
「お上手なのに」
というので、つい、
「私は離れて踊る踊って苦手でね」
「あらどうして」
「いやなんとなく味けなくってさ」
いう内また曲が変わりハイテンポのフォアビートになった。
「踊ります?」
いったのは女の方で、だから私が、
「ジルバは?」
聞いてやったら、
「なんとか」
首を傾げてみせるから手をとってまた庭に降りていった。
こちらもそうだが、相手もとりわけというほどじゃないがそのうちに息が合いだすとカンよく回ったりシャッセしたりして、次の曲もジルバ用でつづけて踊る内に周りの女たちが取り囲んで手拍子をとりだした。
酒のせいで三曲つづけて踊ったら息があがりそうになったけどなかなかいい感じではあった。
テラスにもどった二人に庭の向こうから龍が片目をつむって手を叩くふりをしてみせた。
その後龍がそれまで一緒にいた相手の女の子を連れてテラスにやってきて紹介するので私も名乗り、それまで名前も聞かずにいたジルバの相手にも名乗り彼女も応えてその名は高見沢良美と知れた。
自己紹介が終えた所で龍が、
「どう、どこかで寿司でもつままない」
「ええいいわ」
そして、一人は住まいが横浜、一人は東京ということだからついでに送ってもいこうということで、途中にある昔よくいった寿司屋に寄ることにして出た。

店は寿司屋の職人が東京で失敗して郊外に落ちてきて開きなおしたという店で、この頃ではめったに見ない木造の古い日本家屋をそのまま使っての座敷の中のカウンター式の珍しいタイプだ。
寿司の味はもちろんネタの鮮度が一番重要だが、職人の技で旨いものもまったくまずくなるという、最も難しい料理ではないだろうか。特にシャリの握り方、米を使った料理は世界中に多くあるが寿司ほど米と米の間に入り込む空気を大事にしたものは無いのではないだろうか?強すぎずそれでいて崩れる事なく口まで運べる絶妙な握り具合。これを修得するために寿司職人は何年も修行するのである。
また、当然だが寿司は素手で握る。N.Y.等にあるスシバーでは衛生のため職人が手袋をして握るそうだがこれがどうしても美味しく無いのだ。それについては店の大将が面白い話しを聞かせてくれた。
たしかに手袋をすれば手に付いたばい菌を口にしなくて済む。しかしながらだからこそ美味しく無い。というのだ、昔子供のころ自分のお袋が握った握り飯が一番美味しいと思ったことはないだろうか?これはつまり母親の手についたホコリやばい菌を舌が覚えていて、握り飯についたそれらを口にする事でお袋を思い出し安心する。味だけで言うならプロがきちんと計算して作ったコンビニの握り飯の方が旨いのだという。大将は旨い寿司握るよーと両の手に唾を吹き掛けるフリをして客を笑わせていた。御飯についたばい菌を食べて安心する。シャリを通してのスキンシップという事だろうか、興味深い話だ。

ひとしきり寿司を喰った後、せっかくだしもう一杯どこかでやるかということで、龍が偶然みつけたというなにやらたいそう雰囲気のよろしいというバーに寄ることにした。
寿司屋の狭い駐車場から龍が出した車のリアシートに座った私の横に良美がすわった。途中のジグザグの山道で車がぶれて大きく揺れたはずみに後ろの席にいる二人の体が傾いてぶつかり腕と腕がからみあうみたいにもつれた時、となりの彼女がそのまま私の手をかぶせるように握って離さなかった。なるほどこれが龍がよく言う袖すりあう者のエンという奴だなと私は思った。
で、そのまま彼女の手に敷かれているのは相手に失礼だろうから私も下からその手を包んで迎えるように握り返し、すべてのいきさつを感知しているように龍はしわぶきながら、ツヅラのカーブでことさら乱暴にハンドルを切ってくれていた。

龍のいったバーは県営のなにやら博物館の隣のビルの地下にあって、『十九世紀』とかいう名前の通り前世紀のイギリスのゴルフクラブの雰囲気を真似したつくりで、中も馬鹿に大きく薄暗く、なによりカウンターのバーそのものが長くてだだっ広く、正面が一面の鏡というのが気に入った。酒の品揃えもたくさんで、ホテルオークラのバーで以前の会社の先輩に教わったクレゾールみたいな味のするスモーキーなピュアモルト・ウィスキーの品数はオークラの倍もあった。
 ここで改めて正面の鏡ごしに相手のなんたるかをしみじみつくづく眺め確かめて、乾杯。
「なるほど」
私がなぜか思わずつぶやくようにいったのを聞き逃さず、
「なにが」
癖らしくまた首を傾げてみせながら良美がいった。
「いや、いい店だ。そして、いい夜だよね」
「うん、ほんと」
相手もすかさずいったな。鏡の中の私にではなしに横の私にわざわざ向きなおって。
 その後ウィスキーのクレゾール臭いキックを味わうふりをしながら、鏡ごしに彼女を眺めたりその横の見知らぬ酒のラベルを確かめたりしつつも、いまや登山家となった私としては眺めている山の容姿、その尾根の稜線の具合、雪庇の模様、そして最後の壁は直登可能かそれともトラバースか、ともかくラスト・キャンプまで来てしまった今、このまま一挙に頂きを極めるか否かを舌の上で最初はピリピリ、そしてやがてまろやかに変わっていくウィスキーのキックといっしょに賞味鑑賞しながら作戦だてていた。
店を出て龍達と別れた時にはもう十一時をまわっていた。タクシーのいききはあったが、そのまま二人して人気のない大通りをしばらく歩いていき、自然に肩をよせ手も取り合って、
「で、今夜はずうっといっしょにいてくれるよね。こんなこといってあんまり紳士じゃないかもしれないが、でもそう不良でも悪人でもないからさ」
いったらくすっと笑って肩をすくめてみせる。

どこか途中のモーテルともいかず都心までもどって結局昔よく使ったホテルGにいった。ここはまあ二・五流のシティホテルだが、逆にいえば一流のラブホテルでもある。いいのは朝起きてカーテンを開くと眼の前に新宿御苑が一望できる。つまり前夜になにがあろうと、景色をながめわたすとそうみじめな気にはならずにすむということ。
 こういう時、部屋のキイを開ける瞬間からある種の緊張があるわな。まあそれぞれ互いに自意識の問題だろうけど、ドアを開けて彼女を先に促すのかそれとも私が中から招いて入れるのかとか、最初の接吻のタイミングとか次の抱擁とかそこでちぐはぐすると後に響いてくる。
 もう今さらの話なんだか相手の女にはそれぞれ男には通じないコケン、つまり女なりの自意識があるみたいで、それがスムースに噛み合わないとぎくしゃくしてきてなにもかも気まずくなったり、味気なくなってもくる。といってあんまり相手がさっぱりしすぎていると最後にどんなツケが回されてくるのか心配にもなるけど。その点高見沢良美はさらさらっとしていて嫌みでもなし、思いすごしの不安を感じさせることも無かった。
 部屋に入って扉をしめ、さあという感じで向き合い両方から両手をのべあい、ジルバの最中のチークみたいに互いに引き付けあって初めて唇をあわせる時もこばみはしなかったが、私の肩に軽く手をかけ唇のかまえ方からして深い接吻は後よという感じで、そのまま自分からすっと体を離すと、
「さきにシャワー浴びていい?」
シャワーの最中も扉はしめ切りにはせず、扉の向こうからの独りごとがちゃんと聞こえてくるのだな。
「ああ、私今夜飲み過ぎたわ。酔ってるのがわかる」
「いや、そんなことない、しっかりしているよ」
いったら声をたてて笑い、
「しっかりしてるって、それどういうことよ。初めて会ったばかりなのに」
「でも、お酒は好きだろ?」
「そうよ、でも私、酔うとすぐこんなことするわけじゃなくってよ」
「ほんとかい」
「ほんとよ。あら、それどういう意味」
「いや、どういう意味でもない、まったくない」
ちょっと間があり、
「でも私、あのパーティーでずうっとあなたのこと見てたのよ」
「なにしろ男日照りの集まりだったよな」
「そうじゃないの。あなたとどこで会っても、私あなたのこと注意して眺めたと思うわ」
「そりゃ光栄だ」
「ほんとよ。だからあの時あなたが自分でたってきて、私のいるテラスにむかって歩いてきた時どきどきしちゃった」
”なるほど、気のきいた女じゃあるわな”
「で、とっておきのワインをくれたということかい」
いったら声をたてて笑い出し、
「そうなの、そうなのよ、わかってる?」
いいながら振り向きバスルームから出てきて、部屋の灯りを静かに消した。

previous   unkamp cafe TOP
What`s new | unkampshop | unkampcafe | history | toPassLeisureHours